桃井はるこ:「あたしねネット歴がむちゃくちゃ長いんですけど、私みたいなヲタにとっては、自分がblogとか流行に乗るのが悔しくてたまらなかったわけですよ。今blogは始めても後乗っかりじゃん!みたいな。
でもあたし最近思ってることがありまして、なんか、ヲタはこだわりや思い入れに縛られるがあまり、どんどん老人化していくのが早いと思うの。私も三十路になるけど、すると、”1はいいけど2はダメだ”的になっていくわけ。ふと、まてよ!そんなことはないだろう、と。
新しいモノもどんどん取り入れていかないといけないと思うわけですよ。過去にばっかすがってちゃいけない。
それをすごくよく感じるのがね、秋葉原のUDXも昔はただの広場だったんですよ。ビルが建つと、昔の更地だった頃を知ってる我々古参の人たちは、ビルなんか建っちまって、広場の方が良かったよ、って思い入れもあるから言うんですけど、でも、ビルになったらなったでアニメセンターが出来て新しい出会いがあって新しい思い出が出来ていくんですよ。
古いモノは古いモノで趣はあるけれども、その良さを認めつつ新しいモノもやんなきゃいけない、と。」
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syn blog | 反省会追補0214 2007-06-22 (via yuria) (via taraxalive) (via replore) (via rightstaff) (via nagas) (via tsupo) (via amagiri, hitode909) 2009-08-30 (via gkojay) (via makinami) (via jun26) (via copypetter) (via gotogoto) (via hkdmz) |
鳥居の種類
A「神明鳥居(Shinmei torii)」、B「鹿島鳥居(Kashima torii)」、C「明神鳥居(Myōjin torii)」、D「八幡鳥居(Hachiman torii)」、E「春日鳥居(Kasuga torii)」、F「中山鳥居(Nakayama torii)」、G「外宮鳥居(Gekū torii)」、H「三柱鳥居(Mihashira torii)」、I「三輪鳥居(Miwa torii)」、J「両部鳥居(Ryōbu torii)」
うちのばーちゃんは、人が来るととにかくお茶を出す。新聞の集金だとかNHKの集金だとかそういう人でもだ。その技術がすごい。普通、ちょっと来ただけの人がお茶を出されそうになったら話を切り上げて帰るもんだ。用事済ませたら帰りたいだろう。仕事中なら尚更。しかし、ばーちゃんは帰さない。いつのまにかお茶を入れて出している。お茶を出すよという気配を出さないまま、いつのまにかお茶が出ている。そもそも常にポットに湯が入っている。あの押して出す古いポットね。軽く20年は使ってそう。っつーか俺が小学生の頃から変わってないからそれ以上。この前、観察していたら、相槌をしながら話の腰を折らず、話を相手に続けさせる。その間に、急須に手早くお茶の葉を入れる。そうだね、そうだねとかなんとか言いながら、急須をくるくる回してお茶をジャー。そのジャーを見た瞬間、来客は話を切り上げようとするものの、ばーちゃんは、それで**は##なの?などと合いの手を入れ、相手が、それは**で・・・と答えたあたりで、お茶をポンを目の前に出す。これで来客はお茶を飲んじゃう。ばーちゃんは聞き上手。話が止まらない。お茶が無くなりかけると追加のお茶が入る。追加のお茶の具合で、相手の暇具合を察知し、漬物とかみかんが追加される。場合によってはうどんが茹でられたりも。そしていつのまにか上がらされ、コタツin。そういう人たちをたくさん見て来た。いつのまにか酒まで飲んでコタツで寝る人まで。
ばーちゃん恐い、恐いよ、そのもてなし技術。何者だよ。俺もたまに行くと、お茶攻撃を受ける。入れてくれたから飲む→追加される→入れてくれたから飲む→追加される。このループ。腹がお茶でパンパン。でも、いつの間にかそうなってるんであって、途中で苦しくなる訳でもない。知らない間に飲まされてる。ばーちゃんに言うような話じゃなくても言わされてる。CIAとかFBIとかに訓練されてるんじゃないかとすら思える。そして帰りがけには野菜とか米とかのお土産を持たされる。俺がお茶でトイレが近くなっているスキに玄関に置かれている。靴履いている間にお土産の話されるから逃げられない。ばーちゃんちの蛍光灯を交換しに行っただけなのに、3時間は会話&お茶。帰りには食料満載。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえもっと恐ろしいものの片鱗を味わったよ。
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ばーちゃんの家に行くとお茶で腹パンパンになるんだよ 2009-02-18 (via homest, homest) (via gamsic, gamsic) (via hyousuke, hyousuke) (via rairaiken424, rairaiken424) (via hkdmz, hkdmz) |
How to Make Small Talk 「どうでもいい話」をする方法
http://www.ehow.com/how_10812_make-small-talk.html
Small talk can be a big challenge, but a little preparation and confidence is all you need.
「無駄話」を舐めるな。大冒険になるかもしれん。だが少しの準備と勇気があれば大丈夫。
1.Practice. Converse with everyone you come across: cashiers, waiters, people you’re in line with, neighbors, co-workers and kids. Chat with folks unlike yourself, from seniors to teens to tourists.
練習しろ。すれ違った奴全員と喋れ。レジの人、ウェイター、話が合う人、ご近所さん、同僚に子供(ガキ)、誰でもいいからおしゃべりしろ。老人からティーンエイジャー、観光客、自分と似ていない奴とも話してみろ。
2.Read everything: cookbooks, newspapers, magazines, reviews, product inserts, maps, signs and catalogs. Everything is a source of information that can be discussed.
なんでもいいからとにかく読め:料理本、新聞、雑誌、書評、取説、地図に看板にカタログ。すべては、話のネタになる。
3.Force yourself to get into small talk situations, like doctors’ waiting rooms, cocktail parties and office meetings. Accept invitations, or host your own gathering.
「無駄話」しなきゃならない状況に自分を追いこめ。病院の待合室、カクテルパーティー、職場の会議みたいな場面だ。招待はすべて受けろ、でなきゃ自分で集まりを主催しろ。
4.Immerse yourself in culture, both high and low. Television, music, sports, fashion, art and poetry are great sources of chat. If you can’t stand Shakespeare, that too is a good topic for talk.
自分を「文化漬け」にしろ。高級なのと低級なの、両方だ。テレビ、音楽、スポーツ、ファッション、芸術、詩、どれもおしゃべりの大きなネタ元だ。おまえさんがシェークスピアに我慢ならないというなら、どれだけ嫌いかというのも十分話題になる。
5.Keep a journal. Write down funny stories you hear, beautiful things you see, quotes, observations, shopping lists and calls you made. That story of the long-distance operator misunderstanding you could become an opening line.
日誌をつけろ。おまえが耳にした笑い話、目にした美しいもの、引用、観察、購入品目リストも、かけた電話番号も書き出せ。おまえを誰かと勘違いした電話交換手の話だって、会話のきっかけになるかもしれない。
6.Talk to yourself in the mirror. Make a random list of topics and see what you have to say on the subjects. Baseball, Russia, butter, hip-hop, shoes … the more varied your list, the better.
鏡の前で自分相手にしゃべってみろ。でたらめな順番に話題を並べたリストを作れ。そして、それぞれの話題に合わせて何を言わなきゃならないならないか確かめろ。野球、ロシア、バター、ヒップホップ、靴……話題.リストは長ければ長いほどいい。
7.Expand your horizons. Go home a new way. Try sushi. Play pinball. Go online. Paint a watercolor. Bake a pie. Try something new every day.
おまえの活動範囲を拡大しろ。通ったことない道で帰ってみろ。寿司をためせ。ピンボールをやれ。ネットしろ。水彩画を描け。パイを焼いてみろ。毎日、なにか新しいものを試すんだ。
8.Be a better listener. Did your boss just say she suffers from migraines? Did your doctor just have twins? These are opportunities for making small talk.
今よりもっと良い聞き手になれ。上司は、ちょうど片頭痛で苦しんでると言ってなかったか? かかりつけの医者のとこは子は双子じゃなかったか? (連中は誰かにその話をしたくてうずうずしている) 「無駄話」をする機会はいくらもある。
9.Work on confidence, overcoming shyness and any feelings of stage fright. Remember, the more you know, the more you know you can talk about.
自信をつけろ。内気と人前であがることを克服しろ。知識が増えれば増えるほど、話題はどんどん増えていることを思い出せ。
Tips:
おまけ:
Be yourself. Keep in mind that confidence and humor are superb substitutes for comedic genius or wit.
自分自身であれ。自信とユーモアは、コメディの才能やウィットの代わりを十分果たしてくれることを覚えておけ。
Remember, you never have to do it alone.
思い出せ。会話しているとき、おまえは決して一人じゃないってことを。
- あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇 読書猿Classic: between / beyond readers (via guradora)
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“How to Make Small Talk 「どうでもいい話」をする方法http://www.ehow.com/how_10812_make-small-talk.html Small talk…” (via ntrs)2011-05-23 (via gkojax-text) |
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はてなブックマーク - ツリー効果想定外…地元商店街「客減った」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) (via mcafee-x6) 福岡のカナルシティ、駅からシティまでの商店街だけ繁盛している。 (via bgnori) キャナルシティ博多と商店街の話題が出てきたので、福岡出身ということで調べてみた 大型店との共存共栄を目指して 川端商店街振興組合 によると、川端商店街はキャナルシティ博多の構想が出てきてから、共存共栄をキーワードに会合を重ね街づくりを進めていったようです。マスコミを通じた「川端通りはキャナルシティ博多への楽しい近道です」キャンペーンや、共同販促企画により平日3,500人、日祭日2,500人と落ち込んでいた通行人が、今では平日12,000人、日祭日25,000人へと回復したそうです。その成功の理由は以下 >6.成功の理由 ①キャナルシティ博多は西鉄福岡駅、JR博多駅、地下鉄中州川端駅からも600~700mの距離にあり、立地としては必ずしも良くはない。そのような環境の中にあって、施設と商店街を結ぶ導線としてエスカレータ、歩道橋の設置により商店街とジョイントできたこと。 ②「川端通りはキャナルシティ博多への楽しい近道です。」のキャッチフレーズにふさわしい商店街としての環境整備を推し進めて、アーケードの改修工事(平成10年3月完成)や歩行者に優しい舗装道路の整備を行った。 ③博多水都(すいとう)モール協議会をとおして各商業施設との連携を行い、回遊性のある街並みを造ることに努め、各種イベント販促活動を行い、集客力を高めた。 うん、偉い (via theemitter) |
| — | Twitter / shinichi_taka (via 13py2) |
ただ、昔からゲーセン通いの人はわかるとは思いますが、この「ゲーセンは終わった」という台詞、今に始まったことではなく、昔から言われていたのですよね。それは10年やそこらではなく、おそらく30年はさかのぼれると思います。
というわけで、今日はゲームセンターがピンチと言われた歴史を辿ってみたいと思います。
★スペースインベーダーブームの終演(1979年~1980年)
1978年、『スペースインベーダー』が大ブームを超える社会現象にまでなり、アーケードゲームが大発展したのは多くの人が知るところでしょう。
しかしブームは翌年には収束してゆきます。すると今までインベーダーブームに乗じて次々と出来ていたゲームセンターやインベーダーハウスの収益が一気に落ち込むことになります。
しかも当時、ゲームセンターは不良の巣窟、というイメージが植え付けられ、PTAなどの批判が起きます。その結果、学校で立ち入り禁止にする場合も多く見受けられました。
その結果、ゲームセンターは一気に人が退いてゆき、その結果閉鎖する店や倒産するメーカーも続出したということです。
さすがにこの頃は私もまだ物心もつかない頃で体感ではないのですが、おそらく、市場規模の落ち込みで言うと、この時が一番ひどかったのではないでしょうか。
★ファミコンブーム(1983年~)
1983年、ファミリーコンピュータが登場します。今でこそ普通に行われる移植ですが、当時は『ドンキーコング』や『ゼビウス』『マッピー』があの完全な移植具合でアーケードゲーム機じゃないところで出来るというのは衝撃的だったのですね。
ま、さすがにこの頃はアーケードから家庭用移植までのタイムラグがかなりありましたし、アーケードの技術向上にファミコンやセガマークIIIがついてくるにはまだまだだったのでそこまで大きな問題にはならなかったと思われますが、その10年後のことを予測できた人が当時どのくらいいたでしょうか。
★風営法改正による営業時間短縮(1984年~1985年)
1984年、風俗営業法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)が改正となり、ゲームセンターがその適用範囲となってしまいます。
これは、ゲーム機賭博(いわゆる10円ポーカーを行うゲーム喫茶)が行われていたのに網をかけるためだったようですが、それにゲーム機だけをおいてあるゲームセンターまでもが引っかかってしまった面もあるようです
これにより、それまでは営業時間が自由だったゲームセンターが原則夜の0時までとなり、16歳未満の入場は18時まで、18歳未満は午後10時までとなります。
さらに、ゲームセンターの営業について、警察へ届出、許可をもらうことも必要になります。
■参考:わかりやすい風営法
おそらくゲームセンターの歴史では、このときが一番大打撃を受けたと思われます。
どんなに文化が栄えていても、法による規制が一気に影響を及ぼすというのは、繰り返し起きる現象です。近年もそういう動きがあったりするので、留意しておくべきでしょう。
★2D対戦格闘ゲームの人気収束(1992年~1993年)
1989年、一つのゲームを長くプレイすることでインカムが伸びないというゲーセンが抱える問題に対して、神のような存在が現れます。それは『ストリートファイターII』。
このゲームや後に続く対戦格闘ゲームは、プレイヤー同士の格闘というゲームセンターでのスタイルを打ち出します。しかもこれはどちらかのプレイヤーが1分やそこらで退場することになるため、非常に回転がよく、インカムが急激に伸びてゆきまいた。
しかしストIIやSNKものの人気があった時期はよかったのですが、さすがに発売から数年が経つと失速してきました。
まあこれは今考えればピンチというよりは、贅沢な悩みだったのですが、「ゲーセン飽きた」という人間はいたような気がします。
★3D対戦格闘ゲームの人気収束&プリクラ人気収束(1997年~1998年)
さて、上の2D格闘ブームが収束しかけたとたん、運良く次の大ブームが出てきます。それは『バーチャファイター』『鉄拳』といった3D対戦格闘ゲーム。対戦格闘とはいえど、2Dとは全く別の楽しさを提供したこれらは、一度は消えかけていた対戦格闘の火が、再び燃え上がります。
また、1995年には『プリント倶楽部』が登場し、こちらも女子学生の間で大ブームになり、はじめて多くの女性をゲーセンに呼び込むこととなります。
まさにインベーダー以来のゲーセンの春のように思われた1995年前後のゲーセンですが(ただ、両方とも導入価格は高かったので、小さいゲーセンは大変だったようですが)、さすがにプリクラブームは終了してゆきます。また、2D対戦格闘の頃にもあった「強いプレイヤーが占めてしまい、弱いプレイヤーが勝てず、ゲームを離れてしまう」という現象が起き始めてしまいまいた。結果、どんどんゲーセンに来店する人が減ってゆきます(他にも理由があるのですが、後述)。
あと、格闘ゲームのインカムで味をしめてしまった業界が、インカムの薄いゲームを嫌った結果、シューティングやアクションなどプレイ時間が長めのゲームが売れなくなり、衰退してしまうという現象も裏で起きていました。その結果、バラエティが絞られ、ゲーセンのゲームが限られたプレイヤーのものになっていった面もあります。
★ドリームキャスト・PS2発売(1998年、2000年)
しかしこのあたりのゲーセンは強運で、3D格闘の次にも救世主が現れます。それは1997年の『ビートマニア』を筆頭にした音ゲーブーム。それに続くダンスダンスレボリューションやドラムマニア、キーボードマニアなどの楽器シリーズは爽快感と単純で誰でも楽しめるゲーム性から人気を集めます。
しかし、裏では確実にゲームセンターへの来店数が減っていました。というのは、この頃になると家庭用ゲーム機のスペックがすでにアーケードに追いつきつつあったので。まあこの頃のゲーセン基盤はST-VやSYSTEM12など家庭用にそのまま移植できるようなものが主に使われていたのですが。
それでもSS、PS時代中期まではかなりの移植度を誇るとしてもまだアーケードの優位性が(特に読み込み時間で)見られましたし、格闘ゲーム全盛期には家でバーチャや鉄拳を練習してゲーセンで試合というスタイルがありましたが。
しかし1998年のドリームキャストにおいて『バーチャファイター3』をほぼ完全に移植したことでスペック的には並んでしまいました。
極めつけは2000年のPS2発売。ここではアーケードゲームの性能を家庭用ゲームが追い越すことを可能にしてしまいました。
音ゲーブームは続きますが、2000年以降、画面を見てレバーで操作するビデオゲームが急激に減ってゆきます。そしてそれは、ゲームセンターにおける導入コストが高くなる問題をかかえることになってしまうのです。
★音ゲーブーム収束(2003年前後)
音ゲーは様々なシリーズを生み出しますが、さすがに飽きが来ます。すると、次のブームは…となりますが、残念ながら格ゲー、音ゲー並のものはありませんでした。
しかもこの時期、今まで抱えていた問題が一気に噴出します。それはさっき説明したインカム重視傾向によるアーケードゲームジャンルの衰退や家庭用ゲームの追いつき、それに導入費用の高騰。
昔のゲーム基板価格は、新品でも10~20万くらいというものは多かったみたいですが、この頃の人気ゲームを仕入れるためにはもっと金が必要でした。ビデオゲームでも100万するものも多く出てきましたし、もちろん音ゲーなど大型筐体は当然高い。小さなゲーセンはそれを導入できません。
この頃から『三國志大戦』や『クイズマジックアカデミー』など通信ゲームも多数出てきて、それを導入できるメーカー直営などの大手は人気を集めますが、反面、それを導入できない小さなゲーセンの格差が出来てゆきます。
そして、現代につながります
さて、このようにゲーセンはピンチの連続で、ゲーセンは終わったみたいな口調は今まで何度も言われてきたのですよね。そして最近でも同じことが言われています。
でも、ゲーセンに限ったことではないですが、よく「○○は終わった」と言われるものは、何をもって「終わった」と言うのでしょう。実際、減ってはいるものの、ゲームセンターは今なお健在です。ちなみに私の住んでいる練馬区の西武池袋線沿線東部には、いまだにメーカー系ではない、小規模のゲーセンが5件(うち中村橋駅前には2件)、しっかり残っています。たしかに昔に比べるとちなみに昔はさらに4~5件減ってはいますが、少なくともまだユーザーはいます。
たしかに昔から置きっぱなしのゲームが多く、麻雀格闘倶楽部が主な収入源みたいな感じはしますが、少なくともまだ終わってはいません。
ゲーセンは生き残るために努力していますし、メーカーもまだ大型筐体以外のリリースを続けています。故に、昔に比べて衰退したのならともかく、「終わった」というのは、考えが早急すぎに思えます(まあ「終わった」が「人生オワタ」のように一種の慣用句みたいになっている面もあるのでしょうが)。
たしかにアーケード市場は安泰とは言えないでしょうが、本当にゲーセンが終わるときというのは、店が全部なくなるというのは考えにくいので、たぶんリリースがひとつもなくなる時に言えることでしょうが、おそらくその未来は遠い気がします。
| — | 「ゲーセンは終わった」と言われ続けた歴史 - ゲームミュージックなブログ (via petapeta) |



